「白いウルフ」元関脇益荒雄の現在と壮絶半生!阿武松親方退職の真相
1980年代後半の大相撲界で、鋭い立ち合いと端正なマスク、筋骨隆々の肉体で絶大な人気を誇った元関脇・益荒雄(益荒雄広生)。当時無敵を誇った大横綱・千代の富士を真っ向勝負で撃破するなど、数々の金星と劇的な相撲でファンを熱狂させ、「白いウルフ」の愛称で親しまれました。
引退後は年寄・阿武松を襲名して阿武松部屋を創設し、阿武咲をはじめとする多くの幕内力士を育て上げた名伯楽としても知られています。しかし、2019年に惜しまれつつ日本相撲協会を退職。昭和・平成の大相撲史に強烈な足跡を残した益荒雄の知られざる闘病生活や退職の真相、そして現在の様子に迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「白いウルフ」益荒雄は1980年代後半に千代の富士を破る快挙などで大相撲界を席巻した名関脇。
- 要点2:度重なる大怪我を乗り越えて阿武松部屋を興し、阿武咲をはじめとする多くの実力派関取を育成。
- 要点3:2019年の相撲協会退職後は療養とリハビリに専念し、今なおその不屈の闘志が角界に受け継がれている。
【白いウルフの旋風】昭和を揺るがした益荒雄広生の華々しい経歴と成績
福岡県田川郡糸田町出身の益荒雄広生(本名:手島広生)は、中学卒業後の1979年春場所に押尾川部屋から初土俵を踏みました。小柄ながら徹底して鍛え上げられた筋肉質な体躯と、色白で精悍な顔立ちから、当時の大スターであった千代の富士の「ウルフ」になぞらえて「白いウルフ」と命名され、瞬く間に女性ファンや好角家の心を掴みました。
益荒雄の持ち味は、鋭く低く踏み込む強烈なおっつけと電光石火の出し投げでした。新入幕を果たした1985年以降、幕内上位で次々と旋風を巻き起こします。生涯戦績は397勝327敗85休、三賞受賞は殊勲賞3回、技能賞2回を数え、最高位は東関脇まで登り詰めました。
【千代の富士との激闘】土俵を熱狂させた金星と伝説のエピソード
益荒雄の名を決定づけたのが、1987年春場所の歴史的快挙です。前頭4枚目で迎えたこの場所、初日に横綱・双羽黒を破ると、4日目には当時全盛期を誇っていた横綱・千代の富士を鮮やかな下手投げで土俵に這わせました。
2横綱を総なめにする金星配給劇に加え、11勝4敗の好成績で殊勲賞と技能賞をダブル受賞。国技館は座布団が舞い散る大歓声に包まれ、相撲界は空前の「益荒雄ブーム」に沸き立ちました。「ウルフ」千代の富士と「白いウルフ」益荒雄の真っ向勝負は、昭和大相撲を語る上で欠かせない名勝負として今なお語り継がれています。
【壮絶な怪我と引退理由】満身創痍で戦い抜いた29歳での土俵別れ
土俵上で華麗に躍動した益荒雄の土俵人生は、同時に過酷な大怪我との闘いでもありました。1987年の大躍進直後、右膝の前十字靭帯および側副靭帯を断裂する重傷を負い、長期休場を余儀なくされます。
その後も両膝の怪我、右足首の骨折、肘の故障と度重なる悲劇に見舞われました。土俵に上がる姿は足腰に何重ものテーピングが巻かれ、「包帯だらけの勇者」と称されたほどです。不屈の闘志で幾度も幕内に復帰したものの、限界に達した肉体は悲鳴を上げ、1990年秋場所、29歳の若さで現役引退を決断しました。
【名伯楽・阿武松親方として】阿武松部屋の創設と愛弟子・阿武咲の育成
現役引退後、年寄・阿武松を襲名した益荒雄は、1994年に押尾川部屋から独立して千葉県習志野市に阿武松部屋を立ち上げました。師匠としては「礼儀作法」「感謝の心」「愚直な稽古」を徹底し、決して体格に恵まれない弟子たちにも熱血指導を行いました。
その指導力は角界屈指と評され、幕内力士の片男波(のち片山)、ロシア出身の阿夢露、怪我を乗り越えた舛ノ山、大道など多彩な関取を次々と輩出。中でも中学時代から手元で育て上げた阿武咲(おうのしょう)は、師匠譲りの鋭い突き押しを武器に小結まで昇進し、部屋のエースとして大活躍を収めました。
【相撲協会退職の真相と現在】病魔との闘いと家族・妻に支えられた日々の暮らし
師匠として順風満帆に見えた阿武松親方でしたが、裏では再び健康問題と対峙していました。審判委員や役員待遇として重責を担う中、脳梗塞を発症。一時は車いす生活を余儀なくされるなど体調が悪化し、現場での指導が困難な状況に追い込まれました。
弟子の将来と部屋の運営を第一に考えた益荒雄は、2019年9月に日本相撲協会を退職。部屋の看板を愛弟子である元幕内・大道(現・阿武松親方)へ禅譲しました。退職の背景には、持病の治療と本格的なリハビリに専念するという苦渋の決断がありました。
退職後の現在は、長年部屋の女将さんとして苦楽を共にしてきた妻・恵子さんをはじめとするご家族の手厚いサポートを受けながら、静かに療養生活を送っています。地道なリハビリを続けつつ、テレビの前で大相撲中継を見守り、土俵で奮闘する阿武咲ら愛弟子たちの活躍に温かい眼差しを送り続けています。
【元関脇・益荒雄】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:益荒雄が「白いウルフ」と呼ばれた理由は?
A1:色白で引き締まった精悍な容姿に加え、鋭い立ち合いと気迫あふれる取り口が、当時「ウルフ」の愛称で一世を風靡していた大横綱・千代の富士を彷彿とさせたことから名付けられました。
Q2:阿武松親方を退職した本当の理由は何ですか?
A2:脳梗塞の発症などによる体調不良が直接の理由です。健康状態を考慮して師匠職の継続が困難と判断し、後進へ部屋を譲って治療・リハビリに専念するために2019年9月に相撲協会を退職しました。
Q3:阿武松部屋出身の主な弟子には誰がいますか?
A3:三役まで昇進した阿武咲をはじめ、舛ノ山、大道、阿夢露、片山など、多くの個性豊かな幕内・十両力士を育て上げました。
まとめ:令和の土俵にも息づく「白いウルフ」の闘志と遺産
現役時代は度重なる大怪我に屈せず土俵を沸かせ、指導者としては温かい人間味と情熱で弟子を育て上げた益荒雄広生。29歳での引退、そして病による親方職の退任と、その歩みは常に試練との闘いでした。
しかし、土俵に刻み込まれた「白いウルフ」の真っ向勝負の精神は、現・阿武松親方や阿武咲をはじめとする弟子たちへ脈々と受け継がれています。昭和から平成、そして令和へと続く相撲界において、益荒雄が残した功績と不屈のドラマはこれからも色褪せることはありません。 (出典: 益 荒 雄(Yahoo!ニュース))